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はじめに....
熱を出して医者にいくと、冬なら「インフルエンザ」、夏なら「夏かぜ」、それ以外は「ただのかぜ」と言われるでしょ、だいたい。
病気にはインフルエンザとかぜしかないのでしょうか。みなさんの方でも「かぜ」と診断してもらわないと安心できない、そんな傾向、ありませんか。
賢い消費者(よりよい医療を受ける人)になりましょう。ボクがおてつだいしますよ。
My Opinion
ボクはこう考える
医療行為は天秤ばかりである
小児科は存亡の危機に瀕している
医療現場は看護婦が支えている
「インフォームド・コンセント」はむずかしい
上手な医者のかかり方
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こどもの病気Tips/
御礼
医療行為は天秤ばかりである
世の中いろいろな意見の人がいます。医者も同じです。同じ医学的知識に立ちながら、医者ごとに医療に対してまったく違う意見を持っています。たとえば解熱剤(ねつさまし)は絶対に使っちゃいけないと言う医者もいれば、熱はすぐに下げろと言う医者もいます。
ここは医学の教科書を丸写しにしたホームページではありませんので、ボクの考えが前面 に出ています。でも独りよがりにはなりたくないので、できるだけ公平な情報を提供したいと思っています。最近はやりの「インフォームド・コンセント」って言葉、ごぞんじでしょ。医者が患者に十分な医療情報を提供し、患者が治療法を選択する。あれです。医学に「絶対」はありません。あれもあります、これもありますの世界なのです。ボクはこういう意見です、でもこんな考え方もありますよという部分を出せたらいいなあと思っています。
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小児科は存亡の危機に瀕している
小児病院に勤務していた経験から言うと、病院の小児医療は小児科医の献身によって支えられていると言っても過言ではありません。こどもの診療には大人の何倍も手が掛かることは容易に理解していただけますよね。点滴や採血などの注射ひとつとっても、かなりの修練を積まないと円滑に行えませし、介助役の看護婦さんの手がいくつも必要です。小児科病棟では一日中目が離せない重症のこどもたちがわんさか入院しています。それでも十分な人手が確保されず、ぎりぎりの人数で日夜休みなく働いているのが小児科医です。小児科は儲からないので、人手を増やしてもらえないからです。多くの病院では小児科は赤字部門で、縮小を余儀なくされています。合理化のために小児病棟閉鎖というニュースもよく目にするようになりました。医療が高度化するにつれて、いままで助からなかった病気がどんどん治るようになってきましたが、その反面 、重症の病気を治すための努力は医療費の高騰を産んでいます。これをすれば助かるかもしれないと思う最善の治療をしないということは、医師の良心が許しません。しかし現在の保険制度では、実際につぎ込んだ医療費に見合うだけの収入が確保されないので、やればやるほど赤字が膨らみます。少子化だけの問題ではなく、構造的に小児科は不採算になるようにできているのです。
このままでは小児医療はどうなってしまうのでしょう。 大人の診療の片手間にこどもを診る医者ばかり増えては、よりよき小児医療は望めないと、小児科医のボクは思うのですが。
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医療現場は看護婦が支えている
医療の現場でいちばんエライのは医者だと思われていますが、とんでもない、ホントは看護婦(士)さんたちです。治療方針を決定するのは医者ですから、立場上、ま、医者がいちばんエライ、という理屈になりすが、患者さんにいちばん近いところにいて接する時間がいちばん長いのは看護婦です。彼女ら(彼ら)の働きいかんによって、そこで提供される医療の質が大きくかわってきます。看護婦の仕事は確かに診療介助という側面 もあり、世間的には医者の小間使いのようにしか認知されていないきらいがあるのですが、それはとても残念なことです。医者の指示通 り動くだけではない、看護婦にしかできない仕事も多いからです。医療というのは治療だけではありません。診察をして薬を出して処置をする、それだけじゃあまりにも味気ないですよね。その味気なさの隙間を埋めるのが看護婦で、患者が医者には言えない気持ちを救い出したり、不安に対処したり、医者の言葉の足りない部分を補足したりなど、まさに全人的にケアする姿勢が求められます。
だいたい医者という人種は世間知らずでわがままで一匹狼で協調性がなく、人間的にちょっとねという人が多いんですよ、実際。もちろんボクもそのひとりです。そういうわけのわからん医者と、どうしても自分中心になりやすい患者さんの橋渡し役になって、日夜心を砕くのがナースのお仕事です。
看護婦の評価の低い施設は、どんなに高度医療をしていようと二流と言われてもしかたないくらい、看護婦の役割は大きいのです。
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「インフォームド・コンセント」はむずかしい
医者が十分な説明をして、患者が納得した上で治療を受ける、というのは、当たり前のことです。が、日本ではなかなかむずかしいというのが、ボクの実感です。
マスコミでこのことが取り上げられるときには、医者の説明不足の側面が強調されます。説明しない医者というのは問題外ですから、これは正さなくちゃいけない。でも、患者側の問題もある。
ひとつには医学知識の差。医学用語も含めて、医者が使う言葉は一般の人にわかりにくい。それは医者の責任ではなく、もともと知識が違うのが当たり前ですから、いくら噛み砕いて説明しても、よくわからない部分がどうしても残る。
以前朝日新聞に、患者は医者の話がわからないとする人が多く、医者も患者にわかってもらえてないと感じることが多いという調査結果が出ていました。医者の説明能力の問題だけではなく、もともと病気の説明は、一般の、医学知識を持たない人には、わかりにくいものだからなのです。簡単な例でいえば、ボクなんか毎回のように「かぜ」の説明をしますが、どこまでわかってもらえてるか、いつも心配です。
もうひとつは、こっちの方が重要だと思いますが、「インフォームド・コンセント」は説明する側だけに責任があるのではなく、説明を受ける側にも責任が生じるという認識が欠けているということ。説明を受けて、治療法を選択するのは、患者なんですよ。この部分、マスコミもあまり言いませんよね。
日常診療でよく経験するのは、「ほかの病院ではこう言われた。あんたは違うことを言うが、どっちを信じればいいんだ」と言われることです。ボクにはどうしようもありません。「いろいろな意見の医者がある。私は私の医学知識と信念でこうお話ししている。選択するのはあなただ」と言う以外、言いようはありません。ほかの医者が言ったことの責任はとりませんよ。
患者自身が選択を迫られる場面で、いちばん多い反応は、「先生ならどうしますか」とか「お任せします」ですね、日本では。選択し決定するという責任を逃れるように、最後は医者に一任するという体質が、日本人に根深く染みついているような気がします。そして、これを変えるのは、医者が説明するようになるよりも、もっともっとむずかしいことなのです。日本人のルーツに関わるような問題だからです。
医療を受ける側が分担すべき責任ということも、もう一度考え直す必要があります。
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